「スワロウテイル」という映画を観に行った。岩井俊二という監督は今やカリスマ的存在らしく、京都ロキシーは若者でいっぱいだった。私にとっては久々の映画だったのだが、大入だったので、ちょっと邦画の状況を錯覚してしまいそうだ。しかし、「八つ墓村」とかは入ってないんだろうな〜。(いや、知らないけどね)
個人的に、「近未来」という設定は短絡的な気がして、好きじゃないのだけど(私も大学の頃、そんな設定の脚本書いてた記憶ある。しくしく)、今回改めて思ったのは、私達が想像する未来というのは確実に昔と違ってきている、ということ。昔の未来は「鉄腕アトム」だった。全てがぴかぴかの、つるつるの、メカメカだった。で、一時流行ったのが、第3次世界大戦後の世界。具体的には思い出せないけど、そういう設定のストーリーが氾濫してる時期ってなかったっけ?世界中が退廃してて、「MAD MAX」みたいになってる。そのあとくらいから、世の中の科学技術は発展しまくってるんだけど、その恩恵を受けてない人たちは昔ながらの生活(って、今現在の生活なんだけど)をおくってる。「銀河鉄道999」とか、松本零士の世界が結構そうだった。資本主義的なのかな。
井上靖の自伝的小説とか読んでると、戦後とかには、今とは完全に違う文化マップみたいなのがあって、都会と田舎とか、金持ちと貧乏とかがはっきりと見えてる。うちの母親は兵庫のド田舎で、親父は静岡で戦後を迎えてて、同じ世代のはずなのに、2人とも若い頃の世界観が全然違う。今、丹波口の駅前に寝てるおっさんとかが社会の影部分だと思ってるけど、影じゃなくて、多元的な社会構造のひとつである時代が昔はあったんではなかろうか?(あそこまでは行ってないか?)
今はそういうのほとんどない。光の方にいさえすれば、大体同じ年だったら、同じテレビとか観てて、同じ家電品とか買えて、同じ文化を享受できてる。光の方が圧倒的にでかくて影が小さい、表面的にはまとまりのある社会。でも、このままケアされない影の部分は、今よりはっきりとした形状を持ちはじめる、のではないかな〜、という発想で、近未来は多重構造なのかな?う〜ん。
とにかく!未来の想像図は、繁栄して近代化しまくるかもしれないけど、影の部分が今よりもっと強く劣悪になっていきながらはっきりとした姿を露呈してくる、かもしれない、という根拠に基づいて構成されているようだ。???(不明)
相変わらずまとまりのない文章だ。そこまで考えて作れば、結構いい脚本書けるかな?(文責2号ちゃん)
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